2006年5月27日 (土曜日)

スポーツが僕にくれたもの #5

スポーツを支える

今まで僕のスポーツとのかかわりというのは、「スポーツを見る」か「スポーツをする」かだった。ところが昨年「スポーツを支える」という関わり方を体験することができた。

昨年1年間、ガンバ大阪のボランティアをした。
ガンバのホームゲームで、チケットのモギリをしたり、車椅子で観戦する方の案内をしたり、あるいはサテライトのゲームでの担架係やボールボーイ、ガンバやJリーグ主催のサッカースクールのサポートをしたり、と多くの経験をさせてもらった。

ガンバのゲームに一喜一憂する人、何とかトップチームでのゲーム出場にアピールする選手、知らないもの同士がサッカースクールを通してあっという間に友達になっていく小学生の姿、子供のプレイ姿に熱くなる両親の姿を見て、改めて「スポーツっていいな」って感じた。

このボランティア活動を通して、多くの人にスポーツを「観る機会」や「する機会」を提供することを仕事にしたいと強く思った。

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2006年5月21日 (日曜日)

スポーツが僕にくれたもの #4

大学で野球は終わった。就職は全然スポーツに関係のない会社だった。

社会人後のスポーツとのかかわり。

まず、「スポーツをする」。
手をつけたスポーツは草野球、ゴルフ、スキー、ボディボード、テニス、フットサル・・・。
続いているのはフットサル。大阪ではチームの立ち上げ、その後とりまとめ役もした。ただ自分が体を動かす機会を作りたいから、幹事役もすすんでやっていた。フットサルは、東京に来た今も、運よく続けることができている。小さい頃からどうしてもしたかったサッカーを27歳から始めることができ、そして34歳になった今も続いている。

とはいっても、打ち込む姿勢は大きく変わった。学生時代のように勝利のみを追い求めるようなことはなくなった。もちろん今でも負けると悔しくて仕方ないが、楽しむことがいちばんの目的になっている。

一方の「スポーツを見る」方では、特に印象に残るものを2つあげる。
まず一つが、'96年、野茂のいるドジャーズを見に1人でLAに行ったこと。観客席の9割以上が地元ファンで埋まる球場に、日本との大きな違いを感じた。もう一つが'02年サッカーW杯の決勝を生観戦。世界一の祭典の最高の舞台をライブで体験できてあれほど興奮したことはなかった。高額なチケット代をかけた価値がありました。

スポーツはテレビでもたくさん見ている。特にBS、CS、インターネットのおかげでスポーツの観戦方法に選択肢が増えてからは、世界のスポーツ(特に欧州サッカー)が中心になった。そして何より世界の舞台で活躍する日本人選手には、何度も心を熱くさせられた。そのたびに俺ももっとがんばらないと刺激をもらってきた。

仕事中心の生活のなかでスポーツはいつもカンフル剤になっていた。

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2006年5月14日 (日曜日)

スポーツが僕にくれたもの #3

同志社大学に進学し、野球を続けた。
最初は硬式野球部に入った。その年の秋の神宮大会で日本一になったチーム。後にプロに進んだ人も2人いる。今までと違うレベルの高さにびびってしまい、2ヶ月で辞めてしまった。自分の精神的な弱さから辞めてしまったことで、とても落ち込んだ。

そんなときに弟が甲子園に出場。試合に出ることはなかったが、あの甲子園に立つ弟の姿を見て、また野球がやりたくなった。そして、1回生の夏から大学の準硬式野球部に入部。そして、この野球部ですばらしい経験をさせてもらう。

3、4回生の全国大会で2年連続日本一に。中学2年の正月の書初めで書いた「日本一」が実現した。マイナーな野球だけど、日本一なんて一度もなかったし、それを続けることができるなんて信じられなかった。ただ、一流の選手がいたわけではないけど、大学準硬式野球部のなかでいちばん練習したチームだったと自負はある。

そして日本一という事実よりも、野球が好きな仲間と真剣に4年間野球をやれたことを誇りに思う。特に野球バカの同級生達、彼ら7人、そして監督さんと野球をできたことは、どれだけ財産になっているかわからない。

ありがたいことに2年夏からゲームにもたくさん出させてもらい、最高学年の時には、副将をさせてもらった。小学校から大学まで主将か副将に就き、いやがうえでもチームのことを考える立場に立たせたもらえたことが、今仕事のなかでも役に立っている。

2連覇を目指していたチームが僕にとっての理想の組織だ。目標は「日本一をもう一度」。口にせずとも監督、部員全員が目標を意識し、勝利のためにどうすべきかを真剣に考えていた。練習中に4回生が1回生もやじられることもあった。ベクトルをあわせることがどれほど大切か、今だからこそよくわかる。

大学時代、それこそ野球中心の生活だったが、余りあるほどの体験、教訓をもらった4年間だった。

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2006年5月 5日 (金曜日)

スポーツが僕にくれたもの #2

中学、高校6年間はともに野球部に所属していた。
どちらの野球部もとにかく弱かった。中学のときは地区大会(郡大会!)で1勝しただけで大喜びするようなチームだったし、高校のときは、結局夏の大会で校歌を一度も歌うことができなかった。甲子園を目指しているなんて、とても言えなかった。また、6年間、野球の技術を教えてもらうという視点では指導者にも恵まれなかった。(この時期に基本をしっかり教えてもらえなかったということは選手としては致命的なことだったのかもしれない。)

それでも中学のときは、同級生のなかに野球が本当に好きな友達が何人かいたので、真剣に野球のことを話していた。高校に行ったらお互い甲子園を目指そうとか、書初めに「日本一」って書いたりしていた。仲間と野球をすること自体はとても楽しかったが、勝利の女神って僕には縁のないものなんだろうなぁとずっと思っていた。

幸いにも中学では副キャプテン、高校ではキャプテンをさせてもらったし、高校では1年の秋からレギュラーをさせてもらった。練習メニューとか、チームのコンディションとか、わからないながらも自分で考えてやってきたことが、物事を全体から見るという力を養ってくれたのかもしれない。

部活動では野球ばかりだった一方で、スポーツをテレビで見ることも大好きだったので、他のスポーツもよく見ていた。

例えばサッカーだと、85年のトヨタカップ。プラティニ率いるユベントスが優勝したときだけど、プラティニを見て、こんな世界にはこんなすごい選手がいるんだと驚いた。そして86年のメキシコW杯。偶然朝早く目覚めてテレビをつけたら、マラドーナの5人抜きのゲームがやっていた。本当に目が覚めてしまった。

テニスを見るのも好きだった。ウィンブルドンとか。忘れられないゲームはアランチャ・サンチェスが、グランドスラム5連勝中だったグラフをファイナルでやぶり優勝した89年の全仏オープン。サンチェスって僕と同い年だった。当時17歳。かたやどこにでもいる高校生、かたや全仏のファイナリスト。かっこよくて、うらやましくて、むちゃくちゃ応援した。同い年としては初めて目にしたスポーツヒロイン(ヒーロー)にすごい思い入れをしてしまった。

ま、他のスポーツはともかく、野球を毎日することは当たり前っていう生活が続いていたわけです。

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2006年5月 1日 (月曜日)

スポーツが僕にくれたもの #1

どうして僕はこんなにスポーツが好きなのかって、何度か考えてみたことがあるけれど、もう一度考えてみようかなと思って、5回シリーズくらいで書いてみようと思う。

スポーツにいつ頃から夢中になっていたかと思い出してみたけれど、もう物心ついたときには野球に夢中になっていたと思う。僕がプロ野球を見出した頃は王さんがホームランの世界記録に挑戦していた頃だった。(ちなみに昭和47年生まれの僕に、長嶋さんの現役時代の記憶はない。)  独特の1本足打法で、世界でいちばんの記録を達成した王さんは憧れだった。

また当時は大阪に住んでいたのだが、父親が阪急ブレーブスファンだった影響で、僕も阪急を応援していた。3年連続日本一を達成した頃で、サブマリンの山田久志、世界の盗塁王福本豊を観に、よく西宮球場に行っていた。開幕戦などは毎年行っていたような気がする。足がそんなに速くなかったからか、福本が大好きで、写真を部屋に飾っていた。

父親の転勤で岡山に引っ越してから野球(ソフトボール)を始めた。新興住宅地で人数も少なかったからか、4年生くらいからレギュラーで試合に出さしてもらった。6年生のときにはキャプテンもさせてもらった。

日曜日は野球ばかりしていたが、少年ジャンプで連載されていた「キャプテン翼」が大ブレークしていた頃。学校の昼休みとかスポーツ少年団ではサッカーばかりしていた。一度岡山の田舎町に、ヤンマー(現セレッソ)のネルソン吉村という選手が、小学生相手に指導してくれたクリニックに参加したこともある。また小学校の卒業文集には、将来の夢として日産でプレイすることって書いた。野球もサッカーも好きだったけど、サッカーを本格的にする環境はなかった。

小学生の頃から体を動かすのが好きだった。またスポーツ選手のびっくりするようなプレイを見ることも好きだったし、両親が出場するソフトボール大会の応援に行くのも好きだった。あとは不純な動機?だけど、スポーツのできる男の子は女の子にモテてた。校内の球技大会なんて、本当に気合に入っていたよな。まだ幼くて何もできなかった頃は、スポーツで自分を表現することがすべてだったような気がする。

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