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2006年11月 1日 (水曜日)

がんばるということ

仕事をする上で、「がんばる」、「一生懸命する」というのは当たり前のことで、自分自身で例えば「今日俺はがんばった!」とかいうことはないと思っている。がんばったかどうかは、他人が判断することで、自ら判断したり評価したりするものではないと思っている。(人それぞれ考え方はあると思う。)

その前提に立ったうえで、「がんばった」という評価がなされないということは、まだまだ努力が足りない、やり方が甘い、十分な結果が出ていないということ、あるいは期待した結果が出そうにないということである。

有限な時間ではあるが、本当に有効に時間が使えているのか、ベスト、あるいはベターな方法でとりくんでいるのか、優先順位を誤っていないか、今一度考え直す必要がある。また自分の成果を周囲に反映させる努力をしているか、自分ひとりで完結させていないか、自分が達成した成果が他にどう影響を与えるかを考えているか。

そもそも今している仕事、タスク、作業の成果は何なのか、どうなったら成果を達成したといえるのか、その成果が次のどの、誰のタスクにつながるのかを考えているか。最近自分の業務になかなか結果がついてこないことにいらだっていたが、そもそも成果は何なのかということを明確に定義できていないように思える。いや振り返ってみると、定義をしようとすらしていないようにも感じる。それでは望ましい道を走ることもできない。なぜならゴールが見えていないのだから。

さて、最初の前提に戻るが、自分ががんばったかどうかは自分で評価するものではない、とすると、自分と他人の努力の比較を自分でするということは不可能である。ということは全社を見渡せる評価システムを僕が持たない以上、僕の環境での判断基準はどれだけ稼いだか、という1点のだろう。

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